こんにちは!新婚Maiです(^人^)
近所を散歩していた時のこと。公園で老夫婦が仲良くバトミントンをしていて、心がほっこりしました。近くにお孫さんがいる訳でもなさそう。
そういえば、最近ほっこりした事がありました。
それは、新婚Maiが勤める保育園での出来事。
S先生「あれ、Uちゃんは?いなくない?!焦」
新婚Mai「あ〜、Uちゃんならそこにいますよ!」
と私が目を向けたのは部屋の隅っこ。
1歳女児のUちゃん。去年の秋頃入園して、
それが、最近では歩きもしっかりしているどころか、ことばも出てきて「せんせい」とも呼べるように!
ただ、そのUちゃんの様子が最近おかしい…部屋の隅っこに無表情で立ち尽くしているんです(汗)まるで、すみっこぐら○みたいに…
小さい身体で立ち尽くしてぼーっとしている姿に愛らしさは感じる
すると、ベテラン主任のS先生「
なるほど!考えたら、4月に入ってから、あんな感じだよな。
以後も部屋の隅っこで立ち尽くしていたUちゃんですが、
それは、コロナウイルスによる家庭保育の推奨で、
S主任の言っていた通りだ!新入園児さん達は登園すると大号泣。
大人以上に敏感な子ども達。
「だから」と言っては何ですが、
あ、
大人だって誰かに怒鳴られたら嫌ではないですか?
私は、怒鳴るのではなく、
ただ、同じ事を繰り返すことも多いです(^◇^;)でも、
たとえば、「走るとケガして危ないよ、歩こうね〜!」
ある時、別の子が部屋を走っていると「あぶないよ!あるこ〜!」
それを聞いて、H君もちゃんも分かっているんだなと私は思いました。
それと同時に、
年齢に関係なく、みんな神様が貴重に作られた人間です。
ただ、
だから、子供たちが危険なことをしていたり、悪いことをした時は、先に生まれた先輩達が一つ一つ教えてあげたら良いのではないか?と私は思うのです。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師は以前、5月5日の子供の日の説教で「子供を飼育しないで、放牧しなさい」という御言葉を伝えて下さいました。
その際、子供を羊にたとえて、こんなお話をしてくれました。

『羊たちを牧場(まきば)に放しておけば、ある羊は寝るし、ある羊は草を食(は)むし、ある羊は飛び跳ねて遊ぶし、ある羊は歩くし、ある羊は押し合ったりもします。
牧者はこれを見ながら、羊たちが柵を越えるとか、離れて行こうとするとき止めなければなりません。これが羊を育てる方法です。これが「放牧」です。
それなのに、羊が柵の中で横たわること、走ること、食べること、寝ること、押し合うことをいちいちやめさせて、「みんな横たわれ!みんな寝ろ!みんな草を食え!お前はなんで走るんだ。お前はなんで大声を出すんだ」と言ったら、羊を育てるのではなく、「飼育」することになります。
だから、羊が歩くこともできないし、走ることもできないし、乳も出ないし、個性がありません。
羊を育て管理をする時は、牧者が羊をいちいち抱えて、一斉に食べさせ、走らせ、寝かせることはできません。または、いちいち干渉しながら一斉に食べさせ、走らせ、寝かせることもできません。』
⇒『子供たちに毎回ことごとく干渉し、怒り、血気を出して強要するやり方の管理は一切するな。』という事ですね。
ここで、「柵」にあたるものは何でしょうか?
それも御言葉の中で話されました。
『「真理」とは何か。羊にとって柵と同じだ。牧者が羊を飼って、柵の中にいる羊たちの面倒を見るとき、毎回羊たちが何をしているのか干渉して「これをしろ。あれをしろ」と強要するのか。
それとも、柵の中に入れておくだけで育て、その都度必要なことだけをしてあげるのか。』
鄭明析牧師は『(子供たちには)優しく説得し、感動を与えてただ時代の御言葉で優しく説得し、感動を与えて、自ら感じるようにしてあげなさい。
この方法が今すぐはうまく通じそうになく、時間が長くかかっても、根本から悟らせて、深く根を下ろさせる、真実な管理の秘法だ。先生は「強要と血気のカリスマ」を行使しなかった。「説得と感動のカリスマ」だった。』と仰いました。
「説得と感動のカリスマ」の指導法や養育法、いかがでしたか?また皆さんに共有したいと思います!お楽しみに\(^o^)/