「人生は選択の連続だ」保育士になった経緯

保育のまなび

こんにちは!新婚Maiです(^ ^)

「人生は選択の連続だ」というシェイクスピアの名言があります。

朝起きて、どの服を着るか?という選択から始まり、結婚や仕事などの大きな決断まで、確かに人生は選択と決断の連続です。

私は現在、保育士として働いています。それも私の人生においては大きな決断でした。

振り返ると、大学に入学してからの学生生活は本当にあっという間でした。

勉強に部活、バイト、交友に明け暮れて、気が付けば大学4年生。

教会の人にも出会い、毎日充実していたものの、進路の面では不安がありました。

選考が進む所も出てきたものの、本当にそこで働きたいの?そこで何をしたいの?と自分に問いかけると何も言えない自分がいました。

自分でも自分が分からなくなり、神様が私の事を1番にご存知だろうと、御心通りになるようにと祈りながらも就活を頑張っていました。

 

そういう過程を経た結果として、私は保育士になろうと決めました。

ただ、大学は保育士資格が取れる学科でもなかった為、社会人になってから通信教育で資格を取る事にしました。

資格の勉強をしながらも仕事ができる所でまずは働こうと思い、1から就活やり直し。

保育士は体力勝負って言うし、お給料もさほど高くないみたいだし、しかも働きながら資格取るなんて大丈夫なの?と親からは心配の声も多々聞きました。

私も心配がなかった訳ではないですが、神様と対話して様々考えても「保育士になりたい」という思いは募るばかりでした。

 

そして迎えた社会人1年目。仕事をしながらの資格勉強。

通信教育は自主学習ありきなので、社会人1年目の時には現職の仕事を覚えたり、ストレスもあったりで全く手が付きませんでした。(言い訳ごめんなさいm(__)m)

 

結局、2年の月日をかけて保育士資格を取得しました。

 

そして、今現在。

私は保育士資格を取得して本当に良かったと思っています。

まさに天職だと思っています!

 

ところで、教会で学んだことの1つに「御心」というものがあります。

御心とは、神様の心・ご計画のことです。御心通りに行った時に、神様にとっても人間にとっても一番良い形で物事が成されます。

 

ただ、神様は「御心はこれだ」と初めから話されないのです。

なぜでしょう?

 

御心を初めから知っていたら、人は努力しなくなるからです。

 

たとえば、プロサッカー選手が、プロ選手になる前からその御心を知っていたら、僕はいずれサッカー選手になるんだ♪と思って甘んじてしまいそうですよね。

神様は一人一人に個性とタラント(持って生まれた才能・能力)を与えました。

けれど、それを開発して生かしていくのは人間の責任分担なのです。



私は就活時「御心通りになるように」と祈り、就活していました。



神様はそのような祈りをすると、直接「神様だ~」と言って現れて助けるのではなく、人や万物、環境状況を通して働きかけて下さいます。

また、その人に御心のことを行いたい気持ちになるよう働きかけて助けて下さいます。

そのようにして、私自身も当初思い付きもしなかった保育士になる道を選んだのです。

でも、すぐになれたわけではなくて、自分が努力してようやくなることができました。



CGM(キリスト教福音宣教会)の代表牧師である鄭明析(チョンミョンソク)牧師も、今では全世界の人々に神様や聖書の話を伝えていますが、その御心を初めから知っていた訳ではありませんでした。

祈り、行う中で、今の牧師に至ったのです。

しかも、ただの行いではなく、聖句にもありますが「心と思いと命を尽くして」神様を愛して行なって来られました。



皆さんも何か選択や決断を迫られたときに「神様はなにを望まれるかな?」とちょっと意識してみて下さい。

神様は御心を行えるよう、あなたの心に働きかけて下さるでしょう。

それは風が頬をそっとなでるような感じだとも牧師はおっしゃったので注意しないと分からないかもしれませんよ~♪

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